36. そういうことは早く言え
 金魚の父親とそれにあっさり勝利している南京之介の図を目の前に、五人はしばし呆気にとられていた。しかし、我に返ったヒブナスがその雰囲気を元に戻す。
「って、事態は切迫してるんだぞ南京之介! 『Groene Toad』の本隊はとっくに奥多摩へ入っているらしいんだ!」
「はっ!? ちょっ、そういうことは早く言えよ!」
 思わずいつも通りに立ち上がろうとした南京之介だったが、直後に全身の痛みで膝をつく。
「うわ、痛ってー……」
「あーもう、言わんこっちゃない。おい南京、金魚鉢どこな?」
「え?」
 ずかずかと座敷に上がる乱中丸に、南京之介は即座に反応が出来ない。しかしその視線の先には、風呂敷に入ったままの金魚鉢がよく目立つ場所に置かれてあった。しっかり守護霊を封じているようで、どことなく異様な雰囲気が漏れ出している。
「よし、これやな」
 乱中丸はそれを風呂敷ごと持つと、守護霊任せの見事な投擲力で、

裏庭めがけてぶん投げた。

「ギャーーーーッ!!!!」
 南京之介の悲鳴が響き渡る。
 金魚鉢が放物線を描いて飛んで行くのを、全員が唖然として見送る。そんな中、叫びつつもどうにか金魚鉢を追おうとした南京之介のその目の前で、金魚鉢は裏庭の池にダイビングした。
「待てお前、なんて事しやが……うおっ!?」
 次の瞬間南京之介から、仄赤いオーラが立ち上ったように見えた。前のめりに倒れかけた南京之介が、突然機敏な動きで立ち上がる。
「あー……そういう事か」
 半分ほど水が入った状態で危なっかしく池に浮かんでいる金魚鉢を見て、南京之介にも察しがついたようである。軽く体を動かしながら調子を整えて、未だ義母の膝に乗っている父親を見やる。
「……行ってもいいんだろ、父さん?」
 金魚の表情を読み取るというのは、慣れなければ見当もつかない作業である。しかしそのとき、父親は確かに微笑していた。
「ああ。お前は私に正面から挑み、そして勝利した。今からお前は『後継の資格を持つ者』として、己の責任の下で己の望む行動をとる事を許される。わかるな?」
「当然だろ」
「もちろん、今はその資格だけを前もって得ただけで、当主になると決まったわけではないぞ。権力も部下も与えられないが……ま、今はそんなもの必要ないだろう」
「そりゃそうだ」
 南京之介はことさらに軽い口調でそう言うと、もったいぶった動作で父に背を向けた。
「俺は俺の責任で、正しいと思う事をする」
 そして、まだ裏庭に立っていた面々に、ぽつりと言うのだった。
「……手伝ってくれるか?」

 ヒブナスも、鮒子も、チョウも、ジキンズも。
 即座に応じようとして、ふっと躊躇う。
 座敷の手前側、南京之介のすぐ隣で、乱中丸は無表情に南京之介を見ている。

 しかし、南京之介が口を開こうとするより一瞬早く、その静寂は打ち破られた。奥の襖が開いて、意外な人物が姿を見せたのである。
「お、親父!?」
「鉄尾の親父さん!?」
「おお流、やっと来たか」
 獅子樫氏が親しげに声を掛けると、鉄尾家当主は仏頂面をそちらに向ける。
「……ああ、そろそろ潮時だろう」
 そして、乱中丸を見て言った。
「こんなところまで来ていたか」
「なんか悪いんかい」
 父親を見ずに応答する乱中丸を見て、しかしそれでも仏頂面を崩さずに、鉄尾氏はこう続けた。
「これから獅子樫と大事な話があるから、どこかに行っていろ」

「……え? それって、暴れてきてもええって言ってるん?」
「お前が何をしようと知った事か。どこへでも行けばいいだろう」

 それが最大級の譲歩であると、乱中丸にも理解できたはずである。しかしそれでも乱中丸は素直に感謝を表明せず、父親を見ながら憎々しげに言い放った。
「あーもう! 後でちゃんと説明せーや!! 親父や思って遠慮してたけど、適当やっとるんやったらしばき倒すかんな!」
 そしてさっさと裏庭に降り、
「何しとんのや、早よ行くで!!」
 あまりにわかりやすい行動に和みかけるが、事態は何も好転していない。南京之介は周囲を見渡し、軽く頷いた。
「よし、んじゃ行くか!」
「おう!」
 本日二度目の掛け声で、六人は最終決戦の場へと走り出す。


 その様子を見るともなしに眺めている鉄尾氏を見やり、獅子樫氏はくるりと泳ぐ。
「お前の息子も男前に育ったじゃないか。なぁ?」
 その言葉にも鉄尾氏はしばらく応じず、縁側から裏庭を眺め続ける。夫人と警護官は静かにその場を離れ……鉄尾氏は腰をおろし、獅子樫氏は泳ぐのをやめる。

「……そういうことは早く言え」
「何の話だ?」
「……もう、だったのか」
「ああ、半年ほど前だったかな。でも責めるなよ?」
「聞かなかったのはこっちだから、か」
 深い息を吐き、鉄尾流は金魚になった古馴染を見やる。
「お前、どうして息子を呼びつけた?」
「お前が攻めてくるとわかった時の話か? そりゃ、お前がその気なら南京之介も鉄尾と離れてもらう必要があるからな」
「よく言う。お互い、息子の性格くらいわかっているだろう……それで素直に従うわけがない」
「ははは、違いない。実際、ずいぶん好き勝手したようだしな」
「お前、それでいいと思ったのか?」
「何がだ?」
 お互いにちらちらと相手を見るだけで、決して目を合わせない。それでも今、この二人の間にあるのは、最低ラインでしっかりと張られた信頼と連帯だった。
「……こんな状況を作ったのは、全部我々と、上の世代の身勝手だろう。息子達には関係ない……ならば、子供たちを介入させずに我々だけで解決するのが筋ではないか?」

 その問いかけに、獅子樫氏は長く沈黙を保った。初夏の風だけが、草木や水面を撫でていく。
「……私も、そう思った。お前が攻めてきた時、お前は自分と私との間だけで事態を収めようとしているとすぐ気付いた。そして実際、そうすべきだとも思った」
「ならば……」
「それでも、私にはできなかった」
「何故!?」
「南京之介の顔が、どうしてもちらついて、な……」
 ぱしゃりと音を立てたのは、庭の池だったか、それとも金魚鉢だったのか。
「我々だけで解決すれば、息子たちには一切の苦労をかけずに済む。しかし……息子たちは本当にそれを望むのか? それが息子たちのために一番良いとしても、我々がそれを息子たちに強制するなんて、そんな事が許されるのか?」
「…………」
「実際お前、介入させまいとして抑えつけたせいで、痛い目にあったみたいじゃないか」
「そうかもしれないな。……そんな風に育てたのも我々の責任、ということか」
「はは、まったくだ。相変わらず、お前はいちいち正しい事を言う」

 遠くでほんの少し、大きな音がする。
「……こんな事は、ここ百年近くなかったんだぞ?」
「そうだな。だが裏を返せば、『前回』からまだ百年も経っていないとも言える」
「なあ獅子樫、時々思うんだが……我々はずっと、不可能な事に挑み続けているのではないか?」
「そうかもしれないな。しかし……」

「……息子たちにとっては不可能ではないかもしれない。そう思うと、勝手には投げ出せなくなる。実際、いつも期待させてもらっているしな」


 それと時をほぼ同じくして、双方の警護官たちは、衝突の前線で今にも鉢合わせようとしていた。白煙と足音から、どちらも敵が先にけしかけてきたのだと思い、武器を構え、そして相手が武器を構えていたら攻めかかる覚悟を決めていた。
 と、しかし、それをストップさせたのは二つの人影だった。一つは到底ありえない角度からまさしく舞い降りるように登場し、もう一つは目にもとまらぬ速さでどこからか現れた。片方は獅子樫側の前に、もう片方は鉄尾側の前に。それぞれが、目元を隠したコスチューム姿で宣言する。
「『正義の味方』より、停戦を要請します。現在、第三の勢力が覇権を狙い暗躍しています。先導しますので静かに移動してください」
 一方、先ほど白煙の上がった地点のすぐそばで、「Groene Toad」の部隊は両陣営を待ち構えていた。両者はおそらくこの付近で衝突する。そうなったら、こちらにダメージがない程度に介入して両方を叩き、漁夫の利を受け取ればよい。
 ところが、思ったより遅い両者の到着を待っていた彼らは、信じられない物を目にする事になる。めらめらと昇るオーラで形成されているかのような巨大な怪物が二体、こちらに襲いかかってきたのだ。
「よっしゃ、ここの本隊は大体ひっくり返した。残党任せたで!」
「おうよ。そのまま威嚇と探索、よろしくな!」

「D地区、E地区オールクリア。A地区は敵のみ。F地区がちょっと標高低いから、BとCの残り人員はそっちにまとめた方がいいかも」
 前線から程よい距離をとった所にある空き地では、正義の味方に誘導されてきた警護官たちを横目に、二人の青年が話し合っていた。片方は膝の上のラップトップPCで、地図情報や聞きこみの内容をすさまじい速さで整理している。もう片方はそれを見ながら、借り物のトランシーバーに話しかけた。
「よし、次はそこから東に100メートル進んだ所だ。警護官は南側に……了解。敵は20名程度。勝利は我にありだ!」


 息子たちの八面六臂の大活躍を連絡官から聞き、二人(あるいは一人と一匹)の父親は静かに苦笑する。
「まったく、あいつらは派手にやるのが好きだな」
「放っておいてよろしいのですか?」
「やらせておけ、正義の味方が指示したのでは逆らいにくいだろう。……その間に、大人の話は大人で済ませておこうじゃないか」


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