35. それもまた事実
 奥多摩。
 未だ緊迫状態が続いている衝突地点を取り囲むようにして、各勢力の部隊が息をひそめていた。
 とはいえ今のこの時代、本気で白兵戦になるとはどちらも考えていない。背後で繰り広げられている情報戦、そして並行して行われるであろう政治的駆け引きによって、おそらく勝負は一瞬で決まる。それでも力で押し負けるわけにはいかない両勢力は、否が応にも緊張状態を強いられるのであった。
 そんな折、不穏な予感はまず獅子樫側に忍びよる事となる。
「……さっき、向こうで白煙が上がらなかったか?」
 おもむろに隣から尋ねられ、後方部隊内では最前線にいたその警護官は思わずそちらに目をやる。
 間髪いれずに、再び白煙が上がった。戦略上あまり重視していなかった地点であるが、そちらに鉄尾の部隊がいるとなると戦局は混乱しうる。しかも、白煙の上がった地点からは騒がしい足音と作戦遂行の号令すら聞こえてきた。
 これには獅子樫側も反応せずにはいられない。慌てて陣形を再構成し、後方部隊で白煙の地点を目指す。
「おいおい、本当にやろうってのかよ!?」
 前線の警護官はひとりごちたが、先程まで隣にいた声の主は見えなくなっていた。
 一方その頃、鉄尾側もまた獅子樫側のものと思しき足音と号令を聞きつけ、白煙の地点を目指して移動を始めていたのであるが、それは獅子樫側の預かり知らぬ事実であった。

 戦いを掻き回そうとする不穏な陰謀が、徐々に進められつつあった。


 新宿。
 ヒブナスの決意表明からものの数分で、蘭々のヘリポートは人員輸送のために解放された。
「ヘリは6人乗りですので、操縦士以外のサポーターは同乗できません。地上からの情報はすみやかに送信しますので」
「ああ。恩に着る、アカデさん」
「御武運を」
 こうして意気揚々とヘリに乗り込んだ一行であったが、それでも奥多摩までは三十分近くかかってしまう。その間もジキンズはデータ収集に忙しく、鮒子とチョウは手分けして関係各所に連絡しては余計な不安材料を一掃する作業に没頭し、一方の乱中丸は細かい生傷の手当てに専念していた。
 そしてヒブナスはといえば、事後報告になってしまった獅子樫家への現状説明を何度も試みているのだが、未だに連絡が取れずにいた。度々ジキンズにも確認を取るが、電話は繋がる気配を見せない。
「それって何が問題なのよ?」
 一仕事終えた鮒子の問いかけに、ジキンズが答える。
「えっとねえ、直通の回線がちょっと前からジャミングされてるんだよね」
「なんやそれ?」
「要するに妨害電波で通信を邪魔されてるって事。どうにか別のやり方で連絡しようと頑張ってるわけだけど、あんまりうまくいってないんだよね」
「まあ単純に、外からの通信を受けてる余裕がないってのもあるだろうがな」
 乱中丸も交えて状況を整理していると、同じく作業を終えたチョウが話に加わった。
「ねえ、南京之介の携帯はどう? 普通のキャリアだし、妨害されてないかも」
「そっか、その手があった!」
 ジキンズが手を打つ間に、もう鮒子は自分の電話を手にしている。先程の着信履歴があるので、あっという間に発信が始まった。
 コール音が、一回、二回、三回。

「……鮒子?」
「南京之介、大丈夫なの!?」
 受話器の向こうから聞こえる南京之介の声は、先ほどとは明らかにトーンが異なっていた。無気力な朗らかさも達観したような明るさもない、というよりむしろ死にかけているようにしか聞こえない掠れた声。
「今そっちへ向かってる所よ。もう、あと十分と少しくらいかしら」
「あ、マジで? じゃあそれに合わせて片づけられるように、もうちょっと頑張るか」
「!? あなた、本気で今お父様と戦ってるんじゃないでしょうね!?」
「ん……大丈夫だ。もうすぐ終わる」
「何が大丈夫なのよ!?」
 鮒子たち五人が二十三区内で足止めを食らっていた時間は定かではないし、南京之介が移動にどれだけ時間をかけたかも不明であるが、それでも実家に到着してから三十分といったところのはず。守護霊のない状態で、しかも実家である獅子樫本家で……父親だけでなくその警護官まで十分に揃っている状態で、真正面から挑んで、一体何ができると言うのか。
「まあ、正直ちょっと辛いけどな……さすがに疲れたし」
「なんでそんなに悠長なの……?」
 思わずまじまじと問いかける鮒子に対して、南京之介は軽く笑みをこぼしたように感じられた。
「仕方ねーな、じゃあヒントだぜ」
 鮒子は、他の四人が受話器を覗きこんでいるのに気付き、慌ててスピーカーを設定する。それほど広くないヘリコプター内に、南京之介の声が響く。
「俺がしなきゃいけないのは『守護霊なしで父さんに勝つ事』。それ以外の条件は特になしだ」
「ええ、さっき聞いたわよ。それで……」
「あー待て。それは……ああ悪い鮒子、ちょっと忙しいから一旦切るぞ」
「ちょっと待ってよ、まだ全然……」
「どうせすぐ着くんだろ? こっち来ればわかるんだから、まあ考えてろって」
「そんな、ちょっと……」
 電話はまた、唐突に切られてしまった。

 ヘリコプターは降下を始めている。獅子樫本家の裏庭にある臨時用ヘリポートが使えそうなので、降りればすぐにでも南京之介に会えるだろう。しかし、それでも考えずにはいられない。
「『守護霊なしで父親に勝つ』……」
「何か、見落としている事でもあるのか?」
「そんな事言うたって……」
 しばし、機内に沈黙が漂う。

 しかしその瞬間は、唐突に訪れた。
 まさにヘリコプターが着陸し、車輪が地面に接する鈍い衝撃が伝わってきた所で、ヒブナスがはっと顔を上げた。

「勝ちさえするなら……『武力で』戦う必要はない、という事か!?」


「あ――――――――っ!!!!」
 ほとんど声にならないような長い叫び声を上げたのは、ジキンズだった。全員がそちらを見ると、ジキンズは目を見開いたまま数回呼吸し、そして急に笑い始める。
「あは、あははははは……僕ってば、なんで気付かなかったんだろう……?」
 きらきらした瞳で、呆れたようにヒブナスを見る。
「ごめんヒブナス、僕、やっぱり君に大事な情報を隠してたみたい。怒らないでよね……ゆうべの時点じゃ、そんなのが決め手になるなんて、わかるわけなかったんだから」
「どういう事だ?」
「僕も最近まで知らなかったんだけどね。……僕たちには色々と個性があるけど、色んな共通点もある。すごく面白い、個性的な共通点もあって……」


「僕たちにはそれぞれに一つずつ、『テーブルゲームの特技』があるんだ」


 ジキンズはビリヤード。
 鮒子は麻雀。
 ヒブナスは賭トランプ、特にポーカー。
 乱中丸は花札。
 チョウは将棋。
 誰にも負けない、それぞれの特技。

 そして、南京之介も例外ではない。


「じゃあ次俺、12のダブル。……誰も出ねーの? じゃあ流して、8流して、5のトリプルで上がり。……歯応えねーなー、ローカルルール変えてもいいんだぜ? 階段縛りと7渡しはまだ試してないし」
 獅子樫家の奥座敷で、南京之介は身体の痛みをこらえたまま皮肉に笑う。


「南ちゃんの特技は、『賭けないトランプ』。特に大富豪は敵なしの腕前。……そんな事、知ったそばから忘れてたよ」
 ジキンズがそこまで説明し終える頃には、既に一行は獅子樫家の庭を突き進んでいた。着陸直前になってようやくヘリの無線で獅子樫家の管制と連絡がつき、少なくとも五人の到着は伝えてあったので、警護官たちもさっと道を開ける。
「そっか……それやったんか」
 乱中丸もすっかり思い出していた。大富豪……初めて獅子樫家を訪れた日、寝床にふせっていた南京之介がそれでも乱中丸と遊ぼうとして提案したゲーム。こてんぱんに負けて、それ以降の乱中丸に強烈な劣等感と付随するライバル心を植え付け、さらには少しでも対抗しようと花札を覚えるきっかけにもなったゲーム。
 南京之介自身すらも忘れていたのだろうが、それもまた事実だった。

 多少のいらだちと、ちょっとした苦笑を抱えつつ、乱中丸は裏庭の障子をガラリと開ける。

 座敷の奥にいた南京之介が、ふっと顔を上げた。


 しかし。
「あ゛んっ!?」
 乱中丸の喉から変な声が漏れた。その後ろにいた残りの四人も、唖然として座敷の前に立ちすくむ。


 座敷にトランプを並べて勝負している図は、全員が予想しているものだった。まさか大富豪を二人で勝負するわけにもいかないだろうから、義母や警護官も加わって対戦しているはずだった。そしてそれは、事実と反していなかったのである、が。
 南京之介と数人の警護官を挟んで相対しているのは、母親と呼ぶには少々若い和服姿の女性。それが義母には違いなさそうだが、彼女は何故か膝の上に何か丸いものを乗せていた。そして、手に持ったトランプをそれに見せるように向けながら、何か話しかけているのである。
「……金魚?」
 それはまさしく金魚鉢(守護霊封じ用のものよりは少し大きい)であり、そしてその中には何の変哲もない……強いて言うなら少々高級そうな金魚が泳いでいた。

 南京之介が顔を上げる。
「よ、遅かったじゃん。そこにいるのが、父さんと後妻の母さんな」
「その金魚が!?」
「前会った時は人間でしたよね!?」
「ふむ。慕われているじゃないか南京之介」
 金魚が喋った。

 唐突に明らかになる無意味な真実、しかし……それもまた、事実。


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