32. どこをどうすればそうなるんだ
 新宿のヒブナス家。未だ緊迫感の緩まない応接間に、けたたましい電子音が響き渡った。
乱中丸からの電話である。
「どうした?」
 仕事中に電話を受けられるよう、ヒブナスの携帯電話はいつもスピーカーから声が出ててくる。ヒブナスの動揺した口調とは正反対の、混乱を通り越し冷め切った乱中丸の声は、場の全員に伝わった。

「南京之介の奴……喧嘩の途中で急に何か叫んで、あいつの親父に会いに行った」


「どこをどうすればそうなるんだ!!」
 ヒブナスの叫びは、全員の心情を代弁していた。


 と。
 タイミング良く、鮒子の携帯電話が軽やかなメロディを奏でた。小画面に表示されている発信者は、もちろん渦中の人物である。
「もしもし南京之介!?」
 電話に出た鮒子はすぐにヒブナスに倣ってスピーカーフォンを設定し、送話器に怒鳴る。
「よっす鮒子。ヒブナスの電話が話し中だったけど、もしかして大阪?」
 受話器から聞こえてきたのは、まったくもって危機感のない台詞だった。
「そうだけど……あなたどうしたの?」
「ちょっと状況が変わったから、今から奥多摩に行く事にした」
「『行く事に』って、それじゃ全然……」
「あー、あとジキンズに伝えてくれるか? ジャガーノ借りたって」
「へっ?」
 間の抜けた声を出したのは、もちろんジキンズだ。
「じゃ、そんな感じで。携帯は持ったから、落ち着いたらまた連絡する」
「ちょっ、ちょっと待て、あっ、ねえ南京之介!?」
 電話は既に切れていた。

 まずは無言でジキンズが部屋を出た。まず間違いなく彼の愛車はガレージから消えているはずだが、それでも一旦は確認しなければ気が済まないのだろう。
 ヒブナスから詳細を聞いて、電話の向こうの乱中丸が吐き捨てる。
「盗んだバイクで走りだす……てか」
「何それ?」
「日本の歌や」
 乱中丸がチョウのどうでもいい質問に答えている間、ヒブナスは首を傾げていた。
「しかし……奥多摩に行くとは言っても、そうすぐに動くのは難しいはずだが……そもそも、あの大型バイクをどうやって……」
「南京之介なら持ってるわよ、免許」
 鮒子の言葉に、全員が驚愕の表情で振り返った。
「そっ……それマジなん?」
「高三の受験シーズンにあまりにも暇だからって、片っ端から役に立ちそうな免許とってたから」
 元々南京之介は勘がいいし、「守護霊補正」もあって、免許自体はスムーズに取得する事が出来たのだという。
「とすると……携帯電話は自分の部屋から持ってきたわけだから、一旦部屋に寄ってから実家に向かってるんだろうね」
「ああ」
 チョウの言葉にヒブナスが頷いた。西新宿のアパートはこのすぐ近くだし、実家へ向かう道の途中にもあたる。
「それで……どうするのよ?」
「南京之介君が実家に戻るのを、どうあっても止めたいわけじゃないよね。ただ……」
「あいつ今たぶん頭に血ぃ昇ってるから、下手に奥多摩へ行かせると問題増えるかもしれんで」
「うん。まだ『Groene Toad』の出方もわかってないしね」
「ねえ乱中丸、そもそも南京之介に勝ち目なんてあるの?」
「そんなん知らんわ。何にも言わんと行ってしもたし」
「とにかく!」
 終わらない議論をヒブナスが止めて、全員が黙った。ヒブナス自身、判断にはかなり悩まされたが、それでも何か決めない事にはどうしようもない。
「南京之介が一人で諍いの現場に突入するのは、やはりリスクが高そうだな。……私は、追った方がいいと思う」
 残りの三人も同意を示してくれたようなので、ヒブナスは話を続けた。
「ただ、今から追いかけてもまず間に合わない。蘭々のヘリを出す手もあるが、それでも手配に時間がかかる」
「どうするつもりや?」
「ともかく、まず獅子樫家と連絡を取る。蘭々の回線を使うが、越権行為になる可能性もあるから……『今後の経済状況に対する脅威』を訴える方向で行こう。正義の味方に、どちらかフォローしてもらえるか?」
「なら、私が行くわ」
 鮒子がすぐに応える。
「よし。じゃあチョウはジキンズを呼びに行って、先に二人で奥多摩を目指してくれ。ガレージに蘭々のバイクがある」
「了解」
「俺は?」

 電話を見つめるヒブナスが急に言葉を詰まらせたので、周囲は訝しげにヒブナスを見る。
「……大阪には、できれば東京にいてほしい」
 絞り出した言葉に、全員が息を止めた。
「まだ、動きを見せない方がいいと思う」
「ちょっと待てや! 確かに言うてる事はわかるけど、せやけど……」
「わかっている。ともかく、一旦私の家まで帰ってきてくれ」
「……しゃーないな。すぐ帰るわ」


 一時解散となり、ヒブナスと鮒子は階上に向かった。
「お父さん、つかまるかしら?」
「戦局を考えると、まだ自宅にいるだろう」
 ヒブナスの自室に戻り、卓上のクラシックな電話帳を開く。


 ところが。

 手に取ろうとした電話が急に鳴り出し、ヒブナスは思わず手をひっこめた。二度目のコール音が終わる間際に、素早く受話器を耳に当てる。
「もしもし。こちら蘭々日本支部理事長室」

 受話器から聞こえてきたのは、流麗なオランダ語だった。
「ごきげんよう、日本支部。こちらはオランダ支部だ」
「シラルス理事?」
 隣で鮒子が聞いている事を思い出したヒブナスは、電話横のメモに「オランダ支部から」と走り書きする。鮒子は視線の端で軽く頷いた。
「どうしましたか?」
「時に理事長、君は今日本での権力争いに巻き込まれているらしいね」
「ええ。ですが、何故それを?」
「それについて君はどういう行動を取るつもりだ?」
「どういう、と言われましても……権力争いに加担する気はありません。しかし、混乱に乗じて不当な経済的利益を得ようとする組織に関しては全力で排除します」
「……、ふむ、君は面白い事を言う」

「どこをどうすれば、既存の権力を守るべきという結論になるのかな?」

「……おっしゃっている意味を測りかねますが、シラルス理事」
「蘭々の目的は、日蘭を中心に各国の公正な貿易を推進する事。設立の経緯から日本では獅子樫家が窓口となっているが、それが何に変わろうと我々の仕事は変わらない」
「しかし、権力闘争を煽り混乱に乗じようとするような組織を信用する事は……」
「その組織が本当にそうしているという確証は?」
「……まさか。
   貴方は、『Groene Toad』に肩入れしようというのですか?」

 ヒブナスの右手はまだ、会話の内容をメモし続けていた。こんな内容を鮒子に読ませてよいのかはわからない。しかし、そこに意識を向ける余裕はなかった。
「言葉が過ぎますよ、『理事長』。君こそ、獅子樫家に随分と肩入れしているようだが……何か利益でも得ているのかな?」
「貴方は。……貴方はどうなんです?」
「さて、どうだろうね。しかし蘭々全体としては、日本で誰が権力を握ろうとも無関係だ。介入は許されない」
「ですが……」
「これ以上言うなら、こちらとしても手を打たなければならないね」
「!? 何を言っているんです? いくらなんでも、貴方に日本支部の行動を制限する権限は……」
「確かに、君や直属の部下を攻撃する事は出来ない。しかし、労働時間が週二日以下の嘱託員はどうかな? 例えば、君の子飼いの情報屋とか」
「なっ……貴方、そこまで『Groene Toad』に!?」


 西新宿で、ジキンズはバイクの運転席から交通状況を観察していた。
「結構時間かかりそう?」
 後ろからチョウが話しかける。
「んー、ちょっとリスキーだけど首都高に入ってみる? 思ったより車少ないし……」
 話し始めたジキンズの口が、ゆっくりと閉じる。
 いつの間にか二人の乗る小型バイクは、数台のトレーラーに囲まれていた。
「なるほどね。車が少なかったのはそういう事か」


 一方、こちらは東新宿。
 ヒブナス家に戻ろうと新宿御苑内を急ぎ足で進んでいた乱中丸は、異様な気配に気付いて足を止めた。
「……やれやれ、ほんまにまだ新宿に潜んどったんか」
 首を巡らせて、再び走り始める。
「俺と戦おうなんざ十年早いわ、『Groene Toad』風情が!」

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