33. 光差す庭
 時間を少し戻して、十五分ほど前の西新宿。
 南京之介は鮒子との通話を終えて携帯を片付けると、アクセルを回した。不慣れなバイクは軽快には進んでくれないが、少しずつスピードを出せば調子が出てくる。
 少々アンニュイな気分になっているのを察してか、リュウキングが居心地悪そうな様子で微かに動く。それを感じて南京之介は少し笑みを浮かべ、揶揄するような調子で語りかけた。
「わかっただろ、リュウ? 昔からそうだったんだよ」
 バイクは適当な所に置いていくつもりなので首都高には乗らない事にして、国道二十号線に合流する。
「俺が自分で戦おうとすると、余計周りに迷惑かけるんだ」
 前の車からの排気ガスがひどく、咳をしながらゴーグルをかけた。

 二度と、自分の知らない所で、他人を自分のために傷つけさせない事。
 リュウキングと契約してからの十年弱、それが南京之介の行動理念だった。

「最初はさ、俺が強くなればいいんだと思ってたわけ。契約の時、リュウキングにもそう言ったろ?」
 南京之介自身が、力を手に入れれば。自分や周囲に降りかかってくるどんな際何にも、南京之介だけの力で対処できるようになれば。そうすれば、誰も傷つけずに済むのではないかと、当初はそう信じていた。
「でも……実際はそうじゃなかった。ほら、小六の冬の話、覚えてるだろ? あれとか俺、結構傷ついたんだぜ?」
 南京之介は微笑を作って、少し目を細める。
 小学六年生の冬、南京之介は学校で委員会の会長に選出された。契約してしばらくが経過し、リュウキングの力をうまく利用できるようになってきたので、強くなったとの自信はあった。それに、父親から再三言われていた「力を持つ者の責任」を果たそうとも考えていたので、二つ返事で引き受けたのだ。
 正直、客観的な評価としてはいい会長だったと今でも思っている。
 けれど。
 ……南京之介の発案で、活動に関する広報に力を入れようと話がまとまり、皆で貼り紙の作成を行った時のことである。各自が無理のない範囲で作成しようと話をまとめ、南京之介は翌日の掲示作業を楽しみにしながら帰宅した。
 ところが、次の朝になって登校した南京之介が目にしたのは、早朝から集まって貼り紙作成をしている数名の姿だった。慌てて話を聞くと、昨日決めた枚数の割り振りでは学校全体に貼る事が難しいと考え、不足分を朝のうちに作ってしまおうと考えていたというのである。
 会長としては、それは喜ぶべき出来事の筈だった。それだけメンバーが活動の意図に賛同してくれたという事だし、南京之介を喜ばせようと思ってやってくれた事である。……それでも南京之介は、かなり辛い出来事としてそれを認識してしまっていた。明らかに自分のせいで、そして自分のためを思ったメンバーたちに、無理をさせてしまったのである。
「俺は人の上に立っちゃいけないのかもしれないなって、その時に思ったんだ。いくらなんでも俺にだって、物事を全部把握しとくなんて事は出来ない。どこかで誰かに無理させて、傷つけてるんじゃないか、って……」
 以来南京之介は、自分から進んでリーダーを務める事がなくなった。中心になるのではなく、自分を客観的な立ち位置に置く事によって、集団内での不満や問題にいち早く気づけるようにしようと考えたのである。
「……だけどさ。それも、あんまりうまくいかなかった」
 そもそも南京之介は、生来そこまで気が回るタイプではないのである。それに、誰しもが負担を負わずに済むようなやり方など、集団行動をする中で見つかる事の方が稀だった。
 中学校では随分歯がゆい思いをした。クラスを盛り上げようとしている学級委員を助けようとして空回りしたり、対立しているグループ間で意見をやり取りさせようとして反感を煽ってしまったり。

「それで」
 守護霊の声は脳に直接響く。
「戦わなくなった、か?」
「……そうかもしれない。俺はただ、もう人を傷つけたくなかっただけだから」
 南京之介が危険な事に首を突っ込まなければ、周囲が巻き添えを食う事はない。
 南京之介が何かを始めなければ、誰かが苦労してフォローする事はない。
 南京之介が何もしなければ。
 誰も、南京之介のために傷つかない。

「笑えよ、リュウ」
 二十三区を離れ、徐々に住宅の増えてくる路上で、南京之介は自分を嘲笑う。
「戦う所で戦わないで、周りに流されて甘んじて、何もせずに一年半過ごした結果がこれだぜ? さんざん周りを巻き込んで、ひっかきまわして、……困らせて」
 リュウキングは何も感情を示さず、淡々と語りかける。
「そう思うなら、なぜ何も言わずに飛び出してきたんだ?」
 南京之介も表情を変えないようにしながら、頭の中で返答する。
「……ちょっと、気になる事があってさ」
「どういう事だ?」
「お前、気付いてただろ? 『Groene Toad』は、まだ都内にもかなりの人数が残っていた。すぐ対処しないとヤバいってほどじゃないにしても、無視はできないくらいに」
 守護霊と一時的に切り離されている乱中丸はまだ気づいていないようだったが、リュウキングは気付いていたはずである。それはきちんと、リアルタイムで南京之介に伝わっていた。
「……そうだった。それで?」
「俺はすぐにでも行かなきゃならなかった。でも、あいつらにそう言ったら絶対ついてくるに決まってる。そうなったら、手薄になった新宿で何が起こるかわからねーだろ?」
「…………」
「その辺を詳しく説明してる時間も、正直惜しくてさ。それに、あいつら今頃慌ててるだろうから……それを見て、『Groene Toad』も行動を始める。早いうちに向こうを潰せるかもしれない」
 リュウキングは沈黙を保っている。なにか思案しているのかと思い、南京之介は言葉を考えるのをやめてぼんやりと待っていたのだが、微かな反応に思わず自分の腹部を見た。守護霊はどうやら、笑いたい気分らしい。
「変わらないな」
「はっ?」
「『金魚鉢の間』で自分が何を言ったか、忘れたわけではあるまい」
 忘れるわけがなかった。
 初めて「金魚鉢の間」で話した時、既にこの年季の入った守護霊は多くの事を知っていた。人間が少々、常軌を逸した力を持った所で、世界はそう大きく変わらない。人はいつか死ぬし、政治はいずれ腐敗し、経済はやがて行き詰まる。守護霊はそれを、権力者の傍でずっと見てきたのだ。
 十年ほど前、力を求めて金魚鉢の間に入った南京之介に、リュウキングは問いかけた。力は手に入る。しかし、無限ではない。どうしても自分の力ではどうにもならない時には、一体どうするつもりなのか。

 南京之介は……何も知らないまま、こう答えた。
「その時は、仲間を増やして再挑戦するしかないかな」

「随分、仲間が増えたようだな」
「そういう事言うなよ、リュウキング」
 南京之介は守護霊の揶揄を交わして、再び前方に意識を向ける。

「仲間の心配はしていないのか?」
 その問いには、こう答えようと決めていた。
「心配しながら信頼する事だって、できるだろ?」
 そろそろ三鷹市に突入する。もう少し西まで、このまま移動する事にした。


 三鷹市まではまだ距離のある、西新宿の路上。
 チョウとジキンズは黒いトレーラーに囲まれ、じりじりと減速させられていた。
「……どうする?」
「んー……このまま周りに合わせて停車したら、なかなか不利かもね。でも、このバイクじゃ馬力が足りないから、今すぐ打って出るのも微妙かも」
「『Groene Toad』なんだよね?」
 チョウのささやきに、ジキンズは笑みとも唸りともつかない声を漏らす。
「確認は出来ないから100%じゃないけど……でも、もしそうじゃなかったら負けは確定だね」
「じゃあ、『Groene Toad』なら勝算はあるって事?」
「多少はね」
 そうこうしている間もトレーラーは更に間隔を詰めていく。チョウは運転に集中するジキンズに代わって、その様子をじっくり観察する。
「……トレーラーの中には、そんなに人は乗ってないと思うよ」
「そんなの見える?」
「気配を読むのは必須スキルだからね、この職業」
 冗談を挟む余裕を見せつつ、チョウは首を傾げる。
「それにしても少なすぎるよ。さっきまで僕と戦ってたんだから、トレーラーがあるからってその人数じゃ勝負にならないってわかる筈だけど」
「つまり、ここでチョウと僕の息の根を止めるつもりはないって事か」
 ジキンズは軽く車体を傾けて、周囲の様子を窺う。
 勝算はあった。ジキンズが無理にでも旋回を試みたら、トレーラーは事故を恐れて隊列を乱す可能性が高い。殺す気でかかっていないのなら尚更だ。
「……チョウ。ちょっと無茶やって、東新宿に戻ってもいいかな?」
「無茶の度合いにもよるけど、どうして?」
「ここで僕たちを倒すつもりじゃないなら、間違いなく時間稼ぎだ。なら、真のターゲットは……多分、南ちゃんじゃない」
「……ヒブナス君だね」
 東京と大阪の戦いに、唯一第三者として介入しうる存在。経済の調停者として正義の味方を連れて乱入される危険性くらいは、向こうも把握しているはずだ。
「とにかく、頑張って振り切ってみる」
「了解。ジキンズの腕に賭けるよ」
「ま、いざとなったら一人で飛んで行ってもらうかもしれないけど?」
「この昼間にそれは嫌だなあ」
 二人で苦笑しつつ、黒く囲われた前方を見つめた。


 そして舞台は奥多摩へと戻る。
 さきほどの小規模な戦闘からしばらく経過したが、状況は好転も悪化もしていないようである。膠着状態が続き、現場も相当疲労しているはずだが、迂闊に次の行動には移れない。
 とはいえ、衝突現場の背後には既に十分な増援を配置し、不意の事態にも対処できるようにはなっている。もっとも、向こうもそれは同じの筈だ。
「中都理務様!!」
 不意に慌ただしい足音が聞こえて、獅子樫氏は思案を中断させた。
「どうした」
「今、南京之介様が……」
 警護官の言葉を最後まで聞かず、中都理務は夫人とともに部屋を飛び出した。騒ぎの起こっている方へ駆けつけ、中庭に面した障子を開く。
 光差す午後の庭に、南京之介は華奢な両足で立っていた。庭を覆い尽くすほどに大きく揺らめく守護霊のオーラが、次の瞬間にかき消える。
「まったく、西東京じゅうの住民に見られたんじゃないのか?」
 中都理務の軽い揶揄に、南京之介は悪びれもせず口を曲げて笑う。
「大して気にしてない癖に」
 都心にまで影響が及ばないよう途中までバイクを使ったのだから、これ以上気を使う義務もない。
 そして、午後の光を全身に浴びながら、南京之介は宣言するのだった。
「父親だって容赦しないぜ。今からあんたを正面から、正々堂々ぶっ倒す」


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