31. 最高の殺し文句
 新宿御苑――。

「大阪……お前、何言ってんだよ? 全然わかんねーよ」
 南京之介はその場に立ち尽くし、ただ問いかける。乱中丸は動じず、ただ南京之介に視線を向ける。ただ、若干緊張している事は硬直した肩から察する事が出来た。
「……お前かてわかってるやろ、南京之介」
 それでも、しごく冷静な口調で語る。
「今まで戦わんと済んでたんが奇跡やったんや」

 更に乱中丸は畳みかける。
「わかってるんやろ? どっちかが奥多摩で加勢せな共倒れするって」
 それにはさすがに南京之介も動揺し、反論しようとしていた口を閉じた。
 獅子樫家も鉄尾家も、たとえ日本に危機が迫っているとわかっていても、目の前の戦いに敗北するという選択肢は選べない。日本を丸ごと海外の組織に牛耳られる事は当然避けなければならない……けれど、だからといって自分から敗北を選べば、その影響は自分の支援者すべてに及ぶ。負ける相手が変わるだけなのだ。
「日本ごと潰れればいいとは、さすがに言えんやろ?」
「でも、……なんか他に方法はあるだろ? 勝ち負けなんて今つける必要ねーだろーがよ」
「せやな。お前やったら、なんか方法を思いつくかもしれん。せやけど南京之介、お前がそれをするためには、やっぱり親父に勝たなあかんのやろ?」
「それは……」
「どうするん?」
 言って、乱中丸はほんの少しだけ微笑を浮かべてみせた。南京之介は動かない。

「戦いもせん、逃げもせん……か。相変わらず優柔不断やん。
なら、俺からいくで」

 周囲の立木が、ザワリと音を立てた。
 南京之介と乱中丸の間には、数歩分の距離があった。乱中丸はその間合いを一気に越えて踏み込み、真っ直ぐに正拳を叩きこむ。しかし南京之介は寸前で身体をひねり、右側へ避けた。
 乱中丸は今の一撃でそれなりに体力を消耗したようだが、それでもまだ薄笑いを浮かべている。
「なるほどな……俺が守護霊なしっていうハンデがあるくらいで、ちょうどええやん」
「何言ってんだよ。俺がリュウ起こしたら、それこそお前……」
「でも今、完全に自力ってわけやないやろ?」
 改めて構えを作りながら問いかける乱中丸に、南京之介は言葉を詰まらせる。確かに南京之介のみでの体力は、鮒子と比べるのもおこがましいくらいに低い……今でこそさりげなく守護霊の力で補助する方法を身につけているが、だからこそ守護霊が消えた時どうなるのかは、南京之介自身にもわからない。まず間違いなく今の速度での突きは避けられなかっただろうし、そもそも昨夜からの疲労で動けなくてもおかしくない。
 再び、今度は横殴りに飛んできた拳を、軽く身をかがめて避ける。
「お前が攻撃してこんとやりにくいわ」
「だから俺は、戦いたくなんかねーんだって」
「いつまで綺麗事言うてるねん!?」
 振り向きざまに、横からの裏拳。後方へ避けようとしたが一瞬遅れ、南京之介の顔をかすった。唇の端が、ほんの少し薄赤く染まる。
「ってー……」
 南京之介もさすがに声を漏らす。
「ちょっとは戦う気になったんか?」
「……殴られるだけってのは、まぁ嬉しくはないな」
「せやったら……」
 乱中丸の言葉を最後まで聞かずに、今度は南京之介が掌底打ちを繰り出した。肩口に当たったが威力は弱く、詰まっていた距離を整えるに留まった。南京之介は間髪いれず、やや高い身長を利用して下段の横蹴りを入れる。
 それを軽く跳ねてかわした乱中丸は、再び距離を詰めてカウンターを狙う。南京之介はそれを左に流しつつ、伸ばされた拳めがけて手刀を振り降ろす。乱中丸はそれをギリギリのところで避けたものの、力の乗った拳を急に止めた事でバランスを崩し、少しよろけてまた距離を取る。
 再び睨みあいに入ったので、今度は南京之介が問いかける。
「わかった。確かに俺は、そのうち父さんを相手にしなきゃいけない。だけどさ、俺が父さんに勝たなきゃいけない事が、なんでお前と関係あるんだよ?」
 それに対して、乱中丸は堂々としてこう答えた。
「そらお前、俺がお前のライバルやからや」

「……いつ決まったんだ、そんな事?」
「暗黙の了解や、察しとかんかい!!」

 脱力しかけた南京之介だったが、とりあえず話を続けた。
「で、ライバルだったらどうなんだよ?」
「お前はいずれ、東日本を背負って俺と戦わなあかん。それはわかるやろ?」
「また随分先の話を出すな」
「その時にお前があんまり強くなかったら、面白くないやん」
「……面白く、か」
 その言い方には多少好感が持て、南京之介は軽く微笑する。しかし、ふと気付いて思考を止めた。
「ちょっと待て、その場合の強さって腕力じゃねーよな?」
「この場合は一緒や」
「いやいやいやいや、どう考えても変……」
 言いかけた所に乱中丸の正拳が飛んできて、南京之介は慌てて体をひねった。
「ほら。守護霊ついてるなら、今の打撃を避ける必要なかったやん? カウンター食らわせられたやろ」
「それがどう……」
「腕力だけの問題やない。なんでお前はそうやって、敵にも攻撃せんように気ぃ使うんや?」
 中段蹴りを寸前でかわし、南京之介は飛び退った。なおも距離を詰めながら、乱中丸は話し続ける。
「殴ったら殴り返すし、怒鳴ったら怒鳴り返す。せやけど……お前の方から喧嘩吹っ掛けてきた事、今まで一度もなかったやん」
「そんな事ねーだろ。現にこの間は……」
「守護霊が暴走した時はノーカン。俺らのせいちゃうし」
 言いながら放たれた乱中丸の突きを受け流し、南京之介は困惑して問いかけを続ける。
「そりゃ俺は、儲からない喧嘩は売らない主義だけどさ……それで、何でお前がそんなに追い詰められるんだよ? わけわかんねーよ」


 乱中丸は構えた拳をそのままに、目線を下げた。
「……お前はいつもそうや。自分がこの世で一番強いのは当然やと思ってる」
「は?」
「契約前からそうやった。自分の方が上で、他の奴を引っ張っていけるって、最初から疑ってもなかった」

 乱中丸の脳裏をよぎるのは、お互いに契約する前の南京之介だった。
 外で会う時の南京之介は、いつも妙にテンションが高かった。どれだけ単純な遊びにも夢中になっているようだったし、始終笑い声をあげていた。
 病弱だったのは間違いない。父親同士が集まる時も、南京之介は三回に一回程度しか姿を見せなかった。乱中丸が奥多摩の獅子樫家を訪れた際にも、南京之介はしょっちゅう寝床にいたし、すぐそこにいるのに会わせてもらえない事も数回あった。
 にも関わらず。
 乱中丸が知っている南京之介は、いつも自信に満ち溢れていた。
 新しい事を始めたら、乱中丸がついてくるのは当然だと考えているようだった。別に体力があるわけでもないのに、ぐいぐいと乱中丸を引っ張って歩いた。

――面白そうだと思わねーのかよ? 後になって来ても仲間に入れねーぞ?
 薄ぼんやりとした、夢にも似た記憶の中で、南京之介が笑う。
――どうするんだよ? おい、大阪?
 その言葉は南京之介が持つ、最高の殺し文句だった。記憶の中の乱中丸は、いつもそのペースに乗せられて、ただただその華奢な後ろ姿を追うのであった。

 それから何年が経ったのだろう。
 目の前の南京之介は、輝いていた瞳の面影を完全に失っている。
 それなのに。
「それやのに俺……お前の背中を追い抜く方法がわからへん」


 困惑するのは南京之介だった。
「俺が、お前を、引っ張ってた!?」
 乱中丸の突然の言葉に対して、思い当たる節が何もないのである。
 いや、よくよく思い出せば……そう、乱中丸が遊びに来てくれた時には、喜んで率先的に動いた記憶はある。とっておきの場所や父親にも秘密の遊び方など、何もかも全て教えようとしていた。
 けれど、それで乱中丸より「上」に立っていたか……少なくとも南京之介に、そんな自覚は一切なかった。

「上下、って……だって大阪、お前の方が体力あるのは昔からわかりきってたじゃねーかよ。なんでそんな風に考えちまったんだ?」
 南京之介の問いかけはあまりに冷静だったので、乱中丸の感情も少し鎮まる。乱中丸は落ち着いて少し考えてみたが、すぐにその試みを放棄した。
「んな事、俺に聞くなや。覚えてる範囲では俺、『こいつには勝てん』って思ってた事しか思い出されへんし」
 そう言われると、南京之介はさらに困ってしまう。
「なんでそう思うかな……だってお前、頭は大差ないし、体力はお前の勝ちだし、しかもお前……」


「しかも……」


 南京之介の頭に、何かぼんやりしたものが降りてきた。
 そう。確かに十数年前、南京之介の立場は乱中丸より上だった。それというのも……

 そう、それだ。


「……感謝するぜ、大阪」
「んっ!?」
 突如うつむいて笑い始めた南京之介を見て、今度は乱中丸が首を傾げる。
「どないしたんや、南京……」
「おかげで思い出した。これならいけるかもしれねー」
「せやから、一体何が……」
「悪りぃ大阪、説明は後だ。俺、急いで行ってくる」
「はっ!? 行くってどこや?」
「父さんの所だよ!」
 南京之介は乱中丸の返事を待たずに背を向けた。
 新宿御苑の外側へと、走り始める。


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