38. 目が覚めたら
 さて、父親同士の喧嘩が今まさに勃発せんとしている頃、ジキンズは喧騒から少し離れて中庭の東屋に座っていた。
 服装といい持ち物といい、日頃はまったくもって都会的なジキンズだが、ここまで周囲に自然があふれているのを見過ごすほどではない。夕暮れ時の風を楽しみながら、そよぐ低木を眺めている。
 と、不意に立ち上がったジキンズは、母屋の方に手を振った。
「ヒブナス、電話終わったの?」
 呼ばれた主はつと顔をあげて、携帯電話を畳みながら微笑する。
「ん? ああ。そろそろ蚊が出るから、戻ってきたらどうだ?」

「ジキンズ」
 傍の縁側で靴を脱いでいるジキンズに、ヒブナスは唐突に話しかけた。まるで、ジキンズが話を遮りにくいタイミングを見計らったかのように。
「何?」
「今日は物凄く助かった。感謝している」
「やだな、ヒブナスらしくもない」
「いいじゃないか、たまには思った通りの事を言っても」
 その言い方にちょっとした含みを感じて、ジキンズは部屋の障子を閉める。
「……オランダ支部は何て言ってたの?」
「結果的に現状の態勢が安定したなら、オランダ支部としては理事長の独断を糾弾するつもりはない。ちなみに脅したつもりは毛頭ない……だそうだ」
「逃げたね」
「逃げたな」
 間髪いれない言葉の応酬に、二人のオランダ人は笑いをかみ殺す。
「ねえヒブナス」
「どうした?」
「僕。日本に来てヒブナス手伝って、結構好き勝手させてもらって……ヒブナスの言うとおりだった」
「だろう?」
「うん」

「すっごく刺激的」


 一方の「正義の味方」達は、事後処理にも二人であたっていた。根回しに駆り出させてもらった相手はどれも規模こそ大きくないが、細々としていてなかなか面倒なのである。
「はーっ、終わったーっ」
 最後の電話を終えた鮒子は、思わず文机に突っ伏した。
 思う存分開放感をかみしめた後、ふと顔を上げたがチョウが見当たらない。さっきまで机の向かい側で一緒に電話をかけていたのだが……首をのばしてみると、チョウはチョウで畳に寝転がっていた。
「お疲れ様、チョウ」
「あー、うん、お疲れ」
「いいなぁ、私も寝ようかしら」
「寝ちゃいなよー、凄くいい畳だよー」
 お勧めされつつ仰向けになると、畳のいい香りがますます眠気を誘う。
「あーもう、何なのよ全く……結局周囲のフォローは私になるんだから……」
「鮒子ちゃん、漏れてる漏れてる」
「いいのよ別にそんなの」
 部屋の隅にあった座布団を引き寄せて頭の下に敷きながら、鮒子はまた大きく息をつく。チョウもごそごそと寝相を試行錯誤しながら、表情にあらわれてくる疲労感までは隠そうとしない。
「……有給消化するタイミングかなー」
「絶対そうだわ。一週間くらいとっちゃいなさいよ」
「それはちょっと、今年いっぱい風邪引けないフラグだなあ」
 そこで一足早く起き上がったチョウは、これ見よがしに立ってストレッチなどしながら口を開いた。
「ねえ鮒子ちゃん。今から言う事、すぐ忘れてね」
「はいはい、何?」
「あのさ、正義の味方としては暇な方がいいに決まってるんだけど……たまにはやっぱり、正義の味方してる方が健康的な気がするんだよね」
 横向きに寝ている鮒子は身体を丸めつつ、今度は本格的にため息をついた。
「はー、やっぱ単純ね」
「そう?」
「んーでも、働きすぎて麻痺してるだけじゃない? 明日は日曜だし、有給も取りなさいね」
「そうだね。鮒子ちゃんもシフト入れない方がいいよ」


 さて、一方こちらは現在進行中で壮絶な口喧嘩を続ける獅子樫・父と鉄尾・父の、その現場から少し距離を置いた廊下の隅で。
 スーツ姿の若い男が、廊下に腰をおろしていた。何か危ない目にでもあったのか、目を伏せて息を切らせている。その様子を見つけたのは、
「あら、あなた確か鉄尾の……和金人さん、でよろしかったかしら?」
「こっ……これは失礼。確か獅子樫家の奥様でいらっしゃいまし……」
「獅子樫錦子(ししがし・にしきこ)と申します。いいのよ、座っててもらって」
 立ち上がって完璧な会釈をする和金人に対し、南京之介の義母は和服の袖口で口元を隠しつつ微笑して見せる。
「鉄尾様の御警護でしょう? ここにいらっしゃってくださいな」
「は、はあ、恐縮です」
 実のところ和金人は、鉄尾氏が一人で部屋にいた時から襖の前で護衛を行っていた。まだ顔を合わせにくい都合上、乱中丸が入室する際には少々身を隠していたものの、それ以降も外での警備を続けていたのである。そんなところに、突然反対側の襖が開いて獅子樫親子が出てきたものだから、さすがに慌てて廊下の角まで走る羽目になってしまったのであった。
 まことに恰好悪いのである、が。
「……奥様はよろしいのですか? 御子息を誘拐した相手がこんな所にいて……」
「え? ああ、あらあら」
 獅子樫夫人は虚を突かれたかのように目を見開いたが、直後には大げさなリアクションで苦笑しながら手を軽く振って見せる。
「嫌だわあ、それでそんなに緊張してらしたの? もう、嫌あねえ、そんな事気にしてらっしゃったなんて」
「あ、あの……奥様?」
「大丈夫よ、私だって薄々わかってますから。鉄尾様のところが子供を戦いに巻き込ませない方針だったって事は、主人から聞いてますのよ」
「はあ……」
「私としては、どっちかというと感謝してるのよ。ほら、あの人ってば頑固だから、南京之介君が自分に勝つまで家から出さないつもりだったの。おかしいでしょう?」
「まあ、その」
「ね? あの子があんなに東京に戻りたがってて、それを止める気もないのに『決まりだから』って……まったく、何なのかしらね? 過信してるんだか過保護なんだか……」
 のべつまくなしに口を動かす獅子樫夫人に、和金人はひたすらに極力真摯な相槌を返す。ともかく向こうに敵意がないのであれば、妙な緊張感を持つ必要はない。
 ……子供を戦いに巻き込ませない理由が「参戦されると手に負えなくなる」ためであることは、とりあえず黙っていようとは決めながら。
「ところで和金人さんは、鉄尾様の息子さんとはどのくらいのお付き合いでいらっしゃるの?」
「いえ、昔から知ってはいますが、それほど接点はなく……乱中丸様が東京に移ってらしてからは窓口になっていますが、それでもこの一年半でそう何度も会うわけではありませんから」
「あらそう。じゃあ、私と大体同じくらいの感覚なのかしら。私もこの家に来てから、南京之介君とはまだじっくり話してなくて……」
「そうなんですね」
「でも、いい子でしょう?」
「……ええ」
 奥多摩に来てからの八面六臂の大活躍ぶりについては、もちろん聞いている。内輪もめに付け込んできた第三勢力を、問答無用で叩き潰した、と。
「私、今までずっと、どうやって息子に好かれようか、そればっかり考えてたの。南京之介君は優しいから、あからさまに拒絶はしないんだけど……それが寂しくて」
「わかります」
「だから、正直……あなたが羨ましいわ」
「えっ!?」
 変な声を出してしまい、急いで咳払いでごまかすのを楽しそうに見つつ、義母はまた袖口で口元を押さえる。
「そんなに意外かしら?」
「え、ええ……まあ」
「そうかしら……でもね。『憎まれ役』なんて、そうそう出来るものじゃないと思うのよ」
「…………」
 うまい返答を思いつけないうちに、言葉は続く。
「変に好かれるより、憎まれる方がずっと難しいもの。本当は大事に思っている相手の、マイナスの感情を受け止め続けるなんて……大変でしょうし、でもちょっと羨ましいわ」
「……誤解なさらないでください」
 辛うじて、和金人は眼鏡を直しながら表情を押し殺す。
「私は単に流様の御意向に従っているだけです。乱中丸様にどう思われようと関係ありませんから」
「それは鉄尾様のお考え?」
「ええ」
「そう。……それで、乱中丸君も真っ直ぐに育ってるのね」
「……そうかもしれませんね。真っ直ぐすぎていつも手こずらされておりますが」
「ふふ、そうでしょうね。南京之介君もそんな感じで……本当に、あかねに似てきたわ」
「あかね?」
「ええ」

「獅子樫朱金(ししがし・あかね)……南京之介君のお母様は私の親戚筋で、幼馴染だったのよ。息子がしっかり大きくなって……あの人も喜んでるわ」

 思いがけずこぼれた言葉に、和金人も黙って同意を示す。が、錦子夫人はそこまで神妙な気持ちでは無かったらしく、不意にまじまじと和金人のスーツ姿を眺め始めた。
「? あの、奥様?」
「しかし貴方、いいスタイルしてるわねー」
「え゛っ!?」
「東京では副業でホストをやってらっしゃるんですって? 流石だわー、あの人が若い頃でもこうはいかなかったわよ?」
「そ、その……」
「ああそうだわ、あの人の古いスーツとかもらってくださらない? 年代物だけどレトロ調というか、逆に目新しいんじゃないかしら。そうね、それがいいわ! それじゃあ……」
「あ、あの!」
 自分にできる最大限の丁重さでもって会話をストップさせ、和金人は深呼吸しながら眼鏡を直す。
「それでその……奥様は、何をしにいらっしゃったのです?」
「ああそうだ、すっかり忘れてたわ」


「皆、夕食の時間ですよ!!」

 獅子樫南京之介はその日、大皿に盛られた義母の手料理を競うように口に運び入れた後、深夜まで客間に引きとめられつつもどうにか自室の布団に潜り込んだ。
 一年半ぶりの、実家の布団。
 その印象は、昨日までとは格段に違っている。

 その事をじっくり考えようとした南京之介は、


 やっぱり、目が覚めたらでいいと思い直し、何も考えず眠りについた。


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